名古屋城が描く、未来の賑わい
名古屋城
江戸時代から伝わる伊勢音頭の一説に「尾張名古屋は城でもつ」と言われたように、名古屋城は名古屋のまちやその繁栄の象徴でした。令和の世においても、名古屋城は名古屋の観光を牽引する一大観光地であると共に、国の特別史跡に指定されている重要な歴史的施設として、多くの観光客を惹きつけています。
また、名古屋城の北側、現在の名城公園北園は、江戸時代には尾張藩主の庭園として利用されていました。御庭には茶席や、薬園、陶器を焼く窯、田園、架空の宿場町が造営され、尾張藩主は名古屋城の水堀にある船着場から舟に乗って御庭へ行き来をしていました。また、幕府の上使が名古屋城に来た際には、上使をもてなすために御座船に乗せ、御庭の御茶屋まで招き入れていました。
明治に入ると、名古屋城は陸軍省の所管となり、北側の庭園も陸軍省の練兵場となり庭園全体が解体されました。その後、名古屋城の一部は名古屋離宮となり、昭和5(1930)年に名古屋離宮廃止に伴い離宮一帯が名古屋市へ下賜され、翌年には名古屋城が名城公園として開園し、一般公開となりました。
私たちは、この歴史ある地が単なる観光スポットに留まらず、名古屋市全体の活力と賑わいを牽引する存在となる未来を描いています。名古屋城と名城公園周辺が一体となり、訪れる誰もが新たな発見と感動を享受できるような、活気に満ちたエリアの創出を目指しています。
誰も知らない城内の物語
天守・御殿
名古屋城を訪れる多くの方々が、城内でどのように時間を過ごし、どこを巡っているのか。また城を拠点として、名古屋市内のどのエリアへ足を延ばしているのか。現状では、これらの周遊状況や訪問者の具体的な属性を十分に把握できていないという課題に直面しています。
また、名城公園周辺においては、IGアリーナや名城公園北園の再整備等を契機に、これまで以上に様々な目的を持った方の来訪が予想され、名古屋城・名城公園周辺は大きな転換期を迎えています。
しかしながら、前述の課題は、城内や周辺エリアの魅力的な要素を最大限に活かし、訪問者にとってより豊かな体験を提供するための施策立案の障壁となっています。
データが紡ぐ、新たな賑わいの形
出典 名城エリア観光拠点化に向けた調査検討業務委託報告書
私たちがこの課題に取り組む理由は、名古屋城エリアの持つポテンシャルを最大限に引き出し、新たな賑わいと活性化を実現したいからです。訪問者の行動パターンやニーズを正確に理解することで、より魅力的で効果的な施策を立案できるようになります。これにより、例えば、誘客促進に繋がる企画や、まちづくり全体に資する施策へと繋げることが可能となります。データに基づく洞察は、未来への投資であり、名古屋城エリアの持続的な発展に不可欠です。
共に創る、名古屋の未来
名古屋城エリアの空撮写真
本プロジェクトでは、名古屋城内の人流変化や属性による周遊状況を把握し、名城公園周辺の訪問者が名古屋市内のどのエリアを周遊しているのかを分析する実証実験を想定しています。単なるソリューションの提供に留まらず、共に新しい技術や仕組みを創造し、地域に貢献できるパートナーシップを期待しています。名古屋城エリアの賑わい創出は、名古屋市のシティプロモーションにとっても重要な意味を持ちます。私たちは、この取り組みを通じて、名古屋城が持つ無限の可能性を解き放ち、地域全体の活性化に貢献したいと強く願っています。この熱意に共感し、先進的な技術と創造性で、名古屋の未来を共に築き上げてくださる皆様からのご提案を心よりお待ちしております。